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執筆者の写真奥田 伸行

アール・ブリュットと名付けた男


アール・ブリュットという言葉をご存知ですか?

アートに詳しくない人にはわからないかもしれません。

アール・ブリュットは別名で「アウトサイダー・アート」とも言われています。

アール・ブリュットは西洋の伝統を無視した独自のアートだと言われています。

そして、そうした作品は精神病者などが描く作品を示していました。

しかし、そういった絵は最初から芸術として認識はされていなかったのです。

あくまで精神病者が描いた絵という認識しかいなかったのです。


ですが、ある一人の男が、こうした絵画に感動し、これはアートだと広めていきました。

それが、ジャン・ディビュッフェという画家です。


ジャン・ディビュッフェ自身も、20世紀を代表するフランスの画家です。

アンフォルメルの先駆者ともいわれています。

そんな画家を今日はご紹介します。


1901年、フランスで生まれます。

幼い頃のある日、家族と出かけた際に、ある人が風景を描いていて、家に帰るとまねて、絵を描いたそうです。

そこからデュビュッフェは絵画に興味を持ち始めます。

そして、青年になると絵画を学んでいたのですが、伝統的な指導に嫌気がさしてしまいます。

デュビュッフェはそのまま絵画の道へ進まず、父がしていたワインの仕事を手伝います。


そして、家族とは別で自ら会社を設立し、ワイン商をはじめます。すると、会社は軌道にのり、ますます仕事にいそしみました。

しかし、ある時期からデュビュッフェは絵画への思いが再燃します。

そして、41歳のとき、信頼していた人に会社を譲り、自ら絵画の道へ進むことに専念します。


たちまち、デュビュッフェは絵画は評価をあげます。

しかし、売る気のなかったデュビュッフェは拒否をしていたのですが、ある画廊に説得され、初めて個展を開きます。そして、その個展で作品はたちまち完売になったそうです。


少し話は戻りますが、デュビュッフェは青年の時にある本と出会います。

それがハイデンブルク大学附属病院のプリンツホルンの著者「精神病者の芸術性」という本です。

デュビュッフェはそこで精神病者の絵に興味を持ち始め、仕事をしていた時も精神病院を訪ね、作品を集めていたそうです。

そして、1945年それらの作品を「アール・ブリュット」と名付けました。


その後もデュビュッフェは精神病院を回りながら、自身のために独学で表現を生み出す人の多さを知ります。営利目的のないデュビュッフェに対し、人々は好意的に感じ、たくさんの作品を寄贈され、「生の芸術センター」(フォワイエ・ダール・ブリュット)と開催します。

その後、当時のスイスの市長と契約し、1976年に「アール・ブリュット・コレクション」を設立し、今でも存在しています。


デュビュッフェがいなかったら、今でもアール・ブリュットは芸術として認知されていなかったかもしれません。

デュビュッフェは自身の作品でも、行動でも芸術の歴史に大きな影響を与えた人なのでした。





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