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執筆者の写真奥田 伸行

横田滋さんの死を知って。


今日、北朝鮮拉致事件の横田めぐみさんの父である滋さんが亡くなった。

結局滋さんは娘と会うことができなかった。

それは悲しい現実である。

そして、それはどうにもならない現実もあるということである。


しかし、僕たちは僕たちが生きる世界もまだ曖昧なのだ。

この現実も自分の脳がつくったヴァーチャルであって、僕の周りで起きていることはすべて偶像であるという可能性もある。

僕らは他人にもなれないし、それが本当なのかどうかも証明できるものもなく、すべて存在していることも証明はできない。


だからスピリチュアルの世界も本当にあるのかどうか、わからないけれど、

死後の世界があるとするならば、そこで横田めぐみさんと滋さん、そして、奥様である早紀江さんもいつか三人で出会ってほしいなと願う。


僕はこうした仏教の世界があったほうが面白いと思う。

それは単なるナマケモノで、努力したくないからかもしれない。

現実の努力が血が出るほど嫌いだけれども、何かしなければいけないから

簡単な方法があるなら、仏教だったりそういった世界があったほうが楽だな、と思う。



だけど結局それをするにしても何かしらしなければ

その世界をわかることはできないから、努力するしかないと最近気づいた。


かなり話が脱線してしまったけれど、

横田めぐみさんの両親の人生を想像したら絶対に体験したくない現実である。

だからこそ、ここまで生きたことがすごいし、だからこそ生きてこれたというのもあったのかもしれない。

そしてまた早紀江さんは滋さんをなくしたのだから、またここから大変な人生を歩むことになると思うと、それはそれで何とも言えない気持ちになる。


だけど、学べるとしたらそれはこの人たちの生きる強さである。

この人たちに比べたら自分の人生はまだまだ大したことがない。

だからそれでも人は生きていけるということを

僕らは文字での体感しかできないけれど

学んでいくことが僕らのできる唯一の応援ではないか、と思った。


横田滋さん、ご冥福をお祈りいたします。



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