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執筆者の写真奥田 伸行

選ばれし者たち

アートの世界で生き残るのは大変なことで、それはもう博打やギャンブルみたいなものである。

だけど、それに気づかない危うさもある。


しかし、その中でピカソだったり、アンディ・ウォーホル、デュシャン、バスキアなどがいる。

彼らはそれぞれ新しい扉を開いてきた人たちである。


だけどなぜその人たちが表に出てきたのか?

数え切れない人たちがアート界で新しい試みをしたに違いない。

だけど、なぜ彼らが選ばれたのか?

それは時代のニーズに合っていたからではないか?とも思う。

だけど彼らは時代に合わせようとして作っていたわけでもない。

もちろん、時代に合わせ出た人もいるかもしれない。

もしくは、彼らは時代を読む力が鋭く、無意識のうちに

そんなニーズに合わせ、作っていた可能性もある。


果たして時代を読むとはどういうことか?


横尾忠則はこんなことを言っている。

「天界の意思が何かを伝えようとする時は、僕の体を通して表現してください、そのお手伝いをしましょう」みたいな感覚で描いているそうだ。


他にも、作家・五木寛之も

「自分は単なる『よりしろ』であって、何百万という読者がストーリーをつくっている。そのストーリをつくっている声なき声を、自分のこのがらんどうの真空の中に吸い込んで、ただ投げ返す役割」と。


人を癒そうとかそんなことはしなくても、今の人々が何を感じているのか?

そういうところを意識しながら日々感じてもいいのではないか。

むしろ、その空気を感じながら創作に打ち込むことが必要なのではないか、と思ってしまう。


すべての成功者と呼ばれる人たち、ヒーローと呼ばれる人たちは皆、この時代の人々の何かを感じながら作品、もしくは行動に向き合っていたのではないかと思う。


だから売れる方法、戦略。良い作品をつくる。

それらも含めて、人はまず時代が何を求めているのか?

そんな空気を感じながら日々生きることが大切なのではないか、と感じます。




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