こんばんわ。奥田伸行です。
昨日は、自分を実況するという話をしました。
やっぱり効果はあるようです。
今日も一日中なるべく試しましたが、心は穏やかです。
そして、もう一つ
絵を描いている時も雑念もあまり入らないようになっていました。
もちろん、それですべてがいい作品になることは難しいですが、
かなり絵に集中することができます。
雑念がまったく入らないかというとそうでもないのですが、
アートは雑念が入っていない絵が素晴らしい絵になるかどうかは別の問題です。
雑念も含め、そこにどれだけ込められるかもアートには大切なことです。
じゃあ、別に実況は必要ないじゃないか、と言うかもしれませんが、
それはまた別の話なんです。
雑念に囚われていることが気付いていないのも問題で
そうすると絵に中途半端なものしか入れられなくなってしまうのです。
自分を実況しながら絵を描くと
雑念にも気づくことはできます。
そして、その雑念を絵に取り入れることもできるんです。
雑念と気付いて絵に込めるのと
雑念を気付かずに絵に込めるとでは
そこに存在する価値は別物になってしまいます。
人生もそうです。
無駄だとわかって無駄なことをするのと
無駄だとわからずに無駄なことをするのとでは大違いです。
なぜなら無駄だとわかって無駄なことをするとそれは”遊び”になるからです。
子供の時を思い出してみてください。
子供の時、無駄なことをしてめちゃくちゃ笑っていませんでしたか。
友達とふざけあって、わけのわからないことで笑う。
今思い出しても何が面白いのかわからない。
でも、子供の時の方が幸せじゃなかったでしたか?
子供の時の方がよっぽど価値がある人生ではなかったですか?
やっぱり何事にも遊びをいれるのは大切です。
スポーツだってそう、サッカーだってブラジルの選手などよく遊びをいれながらプレーをしてますよね?
一流の人ほど遊びをいれるのです。
ですから、雑念を理解しないというのはただ効率の悪いことをしていることになってしまいます。
ですから、それが雑念か、雑念じゃないか理解する意識も大切なのです。
ですから、みなさんももう一つの意識をしながら
日々に遊びを取り入れてください。
ありがとうございました。
コメント