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執筆者の写真奥田 伸行

1980年代を席巻したグラフィックアーティスト

今回はキース・へリングを紹介します。


キース・へリングは、チョーク・アウトライン形式でシンプルな絵画が特徴的です。そして、今でもGoogleやユニクロのデザインにも使われているので見たことがあると言った人は多く存在するのではないでしょうか?


1958年、ペンシルバニア州レディングで生まれます。

父親はエンジニアでアマチュアの漫画家でした。


そして、父親の影響で、幼少時から芸術に関心が持ち始めます。

10代初頭には、反体制的なヒッピーによるキリスト教の主要要素である「ジーザス・ムーヴメント」に出会い、ヒッピーの文化の影響を受け、ヒッチハイクで旅に出ました。そして、その時には自分で制作したグレイトフル・デッドのTシャツなどを売り、生計を立てていました。

さらにこのころにドラッグにも試みるようになります。


そして、その後アートの学校に進むのですが、学校に興味がなくなり、やめてしまいます。が、そのあとすぐ「アート・スピリット」という1920年代に発売された著書を読み、アートへの追及を決意します。


バイトをしながら、ジャクソン・ポロックなどいろんなアーティストを研究し、その中でもピエール・アレンストキーの回顧展では、カリグラフィー作品に対して、自信を持ち、彫刻家クリストの講義では芸術が公衆を巻き込む可能性を大いに学び、へリングのアートに対する影響が大きかった、と本人がのちに語っていました。


その後も、ビル・ベックリーからは記号学を学び、ウィリアム・S・バロウズからはイメージの相互参照、相互接続を行う実験からインスピレーションを受けました。


へリングは地下鉄の未使用の広告版に黒い紙を貼り、そこに絵を描くパブリック・アートを始めます。

そして、そこを通る多くの人が目にし、少しずつ名前が浸透していきます。


その後も、個展などを繰り返し、さらに知名度は上がります。


1982年までにはマドンナやバスキアなどと親交を含め、さらにアンディ・ウォーホルと親交を深め、それが成功の要因ともいわれています。


へリングは動作というものを重要視していて、

「私は動くことを重用し始めている。動きの重要性は絵画がパフォーマンスになることを深める。同時にパフォーマンス(絵を描く行為)は出来上がる絵において重要な要素になる。」と語っています。


彼の作品には、同性愛、反アパルトヘイト、コカイン、エイズといった社会的なテーマを多数制作していました。それは彼自身が大きくかかわっていたからです。


へリングは自分がゲイであることをカミングアウトしています。

そして、1988年にはエイズに感染していることも発覚します。


1989年には、「キース・へリング財団」を立ち上げ、エイズ団体と子供の 教育に関する資金提供を目的にしていました。


そして、1990年、へリングはエイズの合併症で31歳という若さでこの世を去ります。


もっともっと長生きしていたら、どんな作品が生まれていたのかと思うと本当に残念でなりません。

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