今回はバルテュスをご紹介します。
アート界では有名な方ですが、それ以外の方は初めて聞くって人も多いのではないでしょうか?
でもあの誰もが知ってるピカソが
『20世紀最後の巨匠』と言わしめるほどのすごい方なんです。
ではでは、ご紹介させていただきます。
バルテュスは1902年にパリで生まれます。
父は美術史家、母は画家という恵まれた環境で育ちます。
ですが、羨ましいなんて思わないでください!
バルテュスはすんなりと美術の道へは行けませんでした。
それは、両親が反対していたからです。
職業柄、同じ苦しみを味わわせたくなかったのかもしれません。
ですから、バルテュスは独学で絵を学び始めます。
ルーブル美術館でニコラ・プッサンの絵を模写したり、ヨーロッパ個展の巨匠たちの絵を模写して、学びました。
ちなみに、バルテュスは子供の頃、日本や中国など東アジア文化に興味をもっていました。
兵役を終えた1933年から画業を始めます。
そして、1934年『ギターレッスン』という作品が事件を巻き起こします。
これは女教師が少女にワイセツな行為をする絵で波紋が起こります。
しかし、バルテュスはこのとき収入がなかったため、わざと波紋を起こす絵を出展し、見事に炎上したのです。
今でいう、バズるってやつですね。
ここまではよかったのですが、話題にはなっても作品は売れなかったそうです。
しかし、その後バルテュスは国際的に有名になっていきます。
バルテュスの作品には、少女がモチーフの作品が多くあり、“完璧な美”とは“なった状態”ではなく、“移行している状態”を意味していて、本人も『これから何かになろうとしているが、まだなりきっていない。この上なく完璧な美である。』と語っている。
その他にも、バルテュスは名言を残しており、1968年には、自分のテートギャラリーで『絵は見るもので、読むものではない』とポートフォリオなど自伝を拒否しています。
1962年バルテュスは日本古美術展の作品選定で日本に派遣され、そこで節子という日本人画家と出会います。
1967年二人は結婚します。
そして、この頃には浮世絵など日本美術にも関心を持ち始め、作品にも表れます。
そして、2001年92歳でこの世を去ります。
ご拝読ありがとうございました。
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