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執筆者の写真奥田 伸行

ひたすら自分の才能を信じ続けた芸術家。



今回は、モーリス・ド・ヴラマンクをご紹介します。


1876年パリで音楽教師の親の元で生まれます。

そういう環境もあって、バイオリンを親から学びます。

しかし、ヴラマンクは音楽の道に興味をもっていませんでした。

そして、17歳の時に家を飛び出し、

憧れていた自転車レースやバイオリンで生計を立てます。

そして、独学で絵も描き始めていました。

初期の絵には、ゴッホの影響が大きくかかわっています。


しかし、20歳の時にチフスという細菌感染症にかかり、競輪選手を断念します。


その後、第一次世界大戦の兵役に召集され、その任期を終え、帰る道中でヴラマンクに転機が訪れます。


パリに帰る電車に乗っている時に、隣の席にある男がいました。

そしてその男と話している時にお互いが絵画に興味があることを知り、そのまま話が弾みます。

その男こそ、若き日の芸術家アンドレ・ドランでした。

そしてアンドレ・ドランはヴラマンクの生涯の友にもなりました。

そして、二人は話が弾み、そのままの流れで共同のアトリエを構えることになります。翌年にはドランの紹介で、マティスとも知り合います。





そして、あるサロンで三人とも絵画を出展します。その時、ある美術評論家が斬新な色彩などの構成をみて、「フォーブ(野獣)!」と叫んだそうです。

そして、それがフォービスム運動の始まりと言われ、ヴラマンク・マティス・ドランの三人ははフォービスムの立役者といわれています。


ヴラマンクはフォービスム以降、ポール・セザンヌの影響を大きく受け、英の雰囲気も変わってきました。


ちなみにヴラマンクは自由主義者で、ただただ己の才能を信じ、束縛や服従を嫌い、そして、絵に関しても独学で学び、所属することもなく独自の道を進む男でした。


ヴラマンクは日本でもなじみがあり、日本人画家の指導をしたこともあり、後期の作品が多く日本に入ってきているそうです。


皆さんもヴラマンクのように自分の才能を信じてみてはいかがですか。

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