前回、展覧会を紹介させていただきました。 なので、今回はその拝見させていただいた芸術家、サミュエル・メスキータという男を紹介します。 オランダのアムステルダムにて、ポルトガル系ユダヤ人の家に生まれます。 エッシャーは少年時代に芸術に興味を持ち、王立芸術アカデミーに入学を申し込むが、拒否され、ひどく落ち込むが、街の建築家の徒弟となり、2年間働いた後、建築家になるために専門学校に入学しました。 しかし彼はすぐに教育学に転向し、1889年教員免許を取得します。 メスキータは20代半ばから製作がはじまり、いろんな手法を試みます。 そして、染物、雑誌の表紙や挿絵などデザイナーとしても活躍します。 1902年からは美術学校の教師となり、多くの学生を指導し、その中でもマウリッツ・エッシャーは芸術史に残るアーティストです。 エッシャー自身もメスキータの作風から多大な影響を受けていました。 メスキータはいろんな手法を試し、創作を続けていますが、その中でも木版画は彼を代表する作品です。 主に、動物や植物をモチーフに作品を描きますが、個人的には女性の裸体をモチーフにする作品が力強く、木版画ならではの模様が印象的です。 しかし、彼が生きている時代はユダヤ人であるということが災いを招く時代でした。 そして、1944年、妻と息子とともに強制収容所に連行され、ガス室で殺害され、生涯に幕を閉じたのです。 この時、メスキータを師事していたエッシャーはメスキータ家にあった作品を救い出し、その後彼の業績を伝えるために、回顧展を開いたり、奔走しました。 この時代じゃなかったら、どんな作品が創り続けていくのか、気になります。 しかし、この時代じゃなったら、エッシャーという偉大なアーティストも生まれなかったのかもしれません。
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