今回は、ウィレム・デ・クーニングをご紹介します。
デ・クーニングは20世紀のオランダの画家で、ジャクソン・ポロックと並ぶ「アクション・ペインティング」の代表的作家です。
オランダに生まれ、青年になると、職業画家の会社に徒弟として働き、1924年までロッテルダム美術応用科学大学の夜間クラスに通いました。
そしてこの学校は現在、ウィレム・デ・クーニング大学になっています。
1927年にマンハッタンに移り、制作スタジオを持ち、大工、家屋塗装、商業芸術などの仕事で生活を始めます。その手間が空いた時間に絵を描きはじめ、1928年にニューヨークのウッドストックの芸術コロニーに参加します。そこで前衛美術家たちとも交流を始め、スチュアート・デイヴィス、アーシル・ゴーキー、ジョン・D・グラハムらと知り合うのです。
そして、その中でもデ・クーニングはゴーキーとすぐに仲良くなり、その後、少なくとも10年は彼から影響を受けています。
1935年、ニューヨーク近代美術館で開催された「アメリカ芸術の地平線」展に参加します。それがデ・クーニングにとって初めてのグループ展になります。
デ・クーニンは、1939年のニューヨーク万国博覧会のファーマシー・ホールで壁画の一部を割り当てられる。この仕事でデ・クーニングは、これまでのアメリカリアリズム絵画と全く異なる新しいイメージを描き、多くの注目を集めるようになりました。
1946年ごろには、デ・クーニングは黒と白の絵画シリーズを始める。これは1949年まで続きます。この時代の1948年、チャールズ・エゴン・ギャラリーで初個展を開催し、その個展は黒と白の大型作品を中心に構成されたものでした。
そして、デ・クーニングの黒絵画は、抽象表現主義に大きな影響を与えます。
デ・クーニングは女性シリーズは1950年から始めます。それはデ・クーニングにとって代表的なシリーズになります。そして、1953年の「女性6」がシリーズの最高傑作と言われています。
女性シリーズはピカソの後期作品の影響が色濃く、攻撃的に鋭く身体造形を部分的に破壊しています。
その絵は、醜いというか、女性の怖い部分を表わしているようにも見え、女性が苦手なのかと思うほどです。ですが、男前で女性遊びも激しかったと言われています。
デ・クーニングは両親がバーなどの仕事をしている影響もあるからなのか、お酒を好んでいました。そして、アルコール依存症にもなっていたと言われ、アルコール、ドラッグを酩酊しながら筆をとっていた、と言われていたそうです。
もしかしたらそれもあって抽象的な絵は生まれているのかもしれません。
それは本人にしかわかりませんが。
デ・クーニング絵画における女性像は、欲望、欲求不満、内面的な葛藤、喜びなどが反映されており、それ以前の男性像とは異なる。女性像はデ・クーニングの芸術キャリアだけでなく人生において最も重要なシンボルである。
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