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執筆者の写真奥田 伸行

フォービスムをつくった男

今回は、フォービスムの創設の一人であるアンドレ・ドランを紹介します。 アンドレ・ドランは1880年フランスで生を受けました。 そして、彼は生まれたときから環境に恵まれていました。 まず彼の父の友達には、あのポール・セザンヌがいました。 その影響で、彼は独学で絵を描き始めます。 そして、大学で工学を学んでいるときに絵画を学びます。そのクラスでマティスに出会うのです。 その後、マティスらと共有のアトリエを借りて、絵を描き始めますが、兵役のために数年間、絵が描けない状況になりました。 兵役が解除されると、両親を説得し、美術学校に通います。 そして、再びマティスとアトリエを借りて製作を始めると、同年展示サロンに参加し、画期的な絵画を展示します。 鮮やかでありながら、かつ不自然な色合いの作品を見た批評家ルイス・ヴォクセルは「フォーヴ(野獣)」と叫んだそうです。 そして、これをきっかけにフォーヴィスム運動が始まります。 1907年画商のカーンワイラーがドランを支援するため、スタジオを購入し、ドランの大パトロンとなったのです。 ドランは、友人のピカソの住む近くのモンマルトルへ移り、色んな画家との交流が始まります。 しかし、また第一次世界大戦の影響で兵役に召集され、再び数年描けない状況が続きます。 解除されると、その後新古典主義のリーダーとして活躍し、バレエの衣装、舞台装飾など手掛け、活躍します。 第二次世界大戦後、ドランはナチスに協力するようになり、以前の支持者たちから親ナチとして、追求を受けることになってしまいます。 晩年、ドランは片目を病で失い、自動車事故で生涯を閉じたのでした。

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