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執筆者の写真奥田 伸行

喜劇王ではないチャップリン



この日本人画家を知ってたら通だなって思う芸術家を知っていますか?


今回は田中保をご紹介します。


田中保は残念ながら、日本でもそこまで有名ではありません。

1886年埼玉県で生まれます。

田中は中学生の時、父親の死により父親の営んでいた金融業は倒産し、一家は破産し、離散状態になってしまいます。

しかし、シアトルに単身渡米し、アルバイトをしながら独学で画家の道を目指す様になります。

1917年個展を開き、その中に裸婦を描いた作品が風紀上よくないと撤退勧告をされるが、抗議文を発表し、信念を貫きます。

それが功を奏し、個展は大評判になりました。

その後、詩人であり、美術評論家であるアメリカ人のルイーズ・カンと結婚します。

当時はまだ今みたいに外国人との結婚は珍しく、ましてやルイーズは上流階級の娘で、さらに型破りな結婚でした。



その後、パリにうつり、「裸婦のタナカ」と呼ばれるほど評判を高めていきました。

しかし、第二次世界大戦中の1941年、田中は日本に戻ることなく、パリで生涯を閉じました。

その後、作品はすべて妻に遺贈されましたが、妻が亡くなった時、作品は日本に渡り、そこではじめて世に出ることになりました。


ちなみに、風貌が鼻の下に髭を生やしていたため、モンパルナスのカフェラテでチャールズ・チャップリンにしばしば間違われたことがあったそうです。

そのためか、妻は田中のことを「C・C」と呼んでいたそうです。


ご拝読ありがとうございました。



<画像提供>

「pinterest」


<参考サイト>

「Wikipedia」

「ameba」

「やねうら部屋の美術館」

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