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執筆者の写真奥田 伸行

変幻自在の芸術家

今回はフランシス・ピカビアをご紹介します。


ピカビアは一つのことを追及する芸術家とは全く正反対の芸術家で生涯でいろいろな作風を創作しています。

そして、友人のマルセル・デュシャンも「ピカビアの生涯は、芸術体験の万華鏡的連続である。外見上は個々のつながりがほとんどないかのようだが、全体は一個の強烈な個性によって、はっきりとしるしづけられている。」と語っていますし、その変幻自在の作風に対して、横尾忠則も「芸術の父」と呼ぶほどです。

他にも、ピカビアはスピード狂の車好きで、生涯で車も170台以上もっていたとか。


1879年、パリで生まれます

家は裕福な家でしたが、7歳の時に母を肺結核で失います。

中学の頃は、スポーツが好きで腕っぷしも強く、喧嘩も好み、いろいろとトラブルを起こしていました。

そして、家にあった父のコレクションの絵画をコピーとすり替え、本物を売って自分のコレクションの資金にするなどの悪童でした。


16歳の時、装飾美術学校に通い、その大学に進み、絵画を学びます。

20歳になり、母の遺産も相続し、絵画で生計をたてるようになります。

そしてニューヨークに行った際、大きな刺激を受け

1915年、ニューヨークに移住します。そしてそのころに「機械の時期」シリーズと言われる機械の製図のようなイメージを描き始めます。

そして、そのころには麻薬で健康を害していた時期もありました。


ですが、ピカビアは冒頭で言った通り、「機械の時期」だけでは納得できず、「コラージュ」「怪物」などコロコロと作風を変えていきます。


「オルフィスムの時期」

「機械の時期」

「コラージュの時期」

「怪物の時期」

「透明の時期」

「模索の時期」

「具象の時期」

「抽象の時期」


こんなにもピカビアは生涯で作風を変えながら作っていきました。


そして、1953年生誕のパリで息を引き取ります。


私はどっちかといったらいろんな作風を作りたいタイプなので、こんな風に豊かな作品を作れたらいいな、と憧れてしまいます。


読んでいただき、ありがとうございます。

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