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執筆者の写真奥田 伸行

女性を弄んだ芸術家


今回はエゴン・シーレをご紹介します。


エゴン・シーレは1890年オーストリアで生まれます。

シーレにはゲルティという妹がいるのですが、中学の頃から妹と近親相姦の関係があったとされています。16歳の時には親の許可を得ず、妹とイタリアへ旅行することもありました。ほかにも怪しく思った父親がカギをかけていたドアを打ち破り、二人のいる部屋へ入ったこともあるそうで、その時は二人で映画製作をしていたとのことでした。


しかし、14歳の時に父親を亡くし、叔父に育てられることになります。

そして、ウィーン工房アカデミーに入学しますが、馴染めず、次にウィーン美術アカデミーに入学しますが、そこでもシーレは馴染めず、三年で退学してしまいます。


しかし、ある人との出会いでシーレの人生は変わります。

それがグスタフ・クリムトです。

クリムトに感銘を受けたシーレですが、クリムト自身もシーレを大変気に入り、お金の援助をするなど可愛がっていました。

そして、18歳の時に個展を開催します。


1911年、シーレは絵画のモデルをしてもらった少女ヴァリと出会い、同棲をはじめ、ヴァリの故郷へ移り住みます。

しかし、そこでシーレの悪い癖が出ます。

それは法的にひっかかるヌードモデルへ誘い、いろんな少女をひっかけ、その噂が街に広まり、嫌われ、住むことができなくなりました。

そして、シーレは移るも、またもやいろんな少女や娼婦に声をかけ、住民から反発を買います。

その後、ウィーンに戻ったのですが、シーレの悪癖は治りません。

同じく少女に声をかけ、淫行をし、ついには誘拐罪で捕まります。


だが、ヴァリとの関係はおわらず、そのまま関係は続いていました。

1914年向かいに住むアディーレ・エディト姉妹と出会います。

そして、姉妹と関係を持つのです。

そして、ヴァリがいるにもかかわらず、社会的信用を得るために令嬢のエディトと結婚をします。そして、ヴァリに結婚の理由を説明するも、ヴァリは納得できず、シーレのもとから立ち去ります。


↑そりゃ、そうですよね(笑)


ちなみに、シーレは結婚後も姉のアディーレと関係をもっていました。



そして、第一次世界大戦が起こり、シーレは徴兵されます。

ですが、芸術家ということが知れ渡ると、シーレは前線にはたたず、捕虜収容所の看守をつとめ、絵画の時間があったと言います。


しかし1918年、スペイン風邪が流行し、身ごもっていたエディトがかかりなくなります。そして、その数日後、シーレもかかり、この世を去るのです。


彼は人としては欠落していたといえるでしょう。

でも人間としては面白い人物だったのではないでしょうか?

絶対身内にいてほしくはありませんが(笑)



<参考サイト>

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