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執筆者の写真奥田 伸行

自分なりの理論を貫いた

芸術家・マーク・ロスコ 主に抽象作品が有名である。 家は裕福ではなかったが、父から高度な教育を受けていた。 家族全員読者家というほど、本ばかり読んでいた。そして、ロスコ自身もその甲斐あってか、3か国語話すことができた。 だが、父親がロスコの若いときに亡くなってしまった。家族全員で働きながら家計を支えあい、ロスコも働きながら学校を通っていた。 17の時には英語も覚え、四か国語覚える秀才だった。 ロスコは、ニューヨークの友人を訪れた際、ヌード・デッサンをする学生を見て、芸術家になることを決意し、美術大学に通った。 そこでフランスの前衛芸術家マックス・ウェーバーの授業を受け、芸術は感情的なものや、宗教的なものを表現をするものだととらえ始めた。 彼の作品は、評価は上々であったものの、生活できるほどではなく、仕事をしつつ作品をつくった。 1930年代、ロスコはたくさんの芸術家と出会う。 そのなかでも、ミルトン・エイブリーの影響は大きく、彼と似た色彩や題材を扱うようになった。 そして、その頃、宝石デザイナーの妻と出会い、結婚をするが、結婚と離婚を繰り返した。 1943年には、離婚して、うつ病を患う。 だが、彼はその後、メアリー・エレンと出会い、1945年に結婚を果たす。 彼はその後も作風を変えながら作品を作り続けた。 そして、1970年病気や私生活のトラブルが原因で、自ら命を絶ち、生涯を終えた。 彼は自分なりの確立したアート論に従って、創作を行っていた。 当たり前なことかもしれないが、やはり自分なりの理論というものを持つことは創作、いやいきる上で大切なことかもしれない。たとえ、間違っていたとしても。

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