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執筆者の写真奥田 伸行

芸術の光と闇に苛まれた男

1885年、ブルガリアで生まれた彼は、学校で絵を学び、若い時から挿絵画家として活躍していた。

二十歳のとき、パリに移住し、本格的に油絵を始めた。 その後も戦争などの影響で各地を転々とする。 パスキンの絵には、女性や子供を描く作風が多く、そのどれもがパスキンの独特なタッチが出ている。 若い時から画家として成功し、その後も名声を博し、結婚をし、順風満帆な生活を送り、彼の取り巻き数十人を引き連れ、浪費を繰り広げていた。


そんな華やかな生活に見えていたが、その一方で、そんな生活をしていたせいもあってか、アルコール依存症やうつ病に苦しむようにもなった。


さらにパスキンは友人画家の妻、リュシーと不倫関係にもなったが、酒、麻薬などの自堕落な生活が原因で別れることとなった。

その原因もあってのことなのか、1930年。

パスキンは自宅の浴槽で手首を切り、首を吊って自殺をした。ドアには血文字で


「ADIEU LUCY」(さよなら、リュシー)


と書かれていたという。 パスキンの葬儀が行われた日、パリのすべてのギャラリーは閉じて喪に服し、サントゥアン墓地までの5km近い道のりを、何千人もの知人がパスキンの棺の後に列を成したという。 それほどまでに彼はたくさんの人に愛され、芸術界に多大な影響を与えていたことがわかる。 彼は芸術家という光と闇の両面を大いに感じていた一人だったのかもしれない。

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