美術学校を卒業後、小学校に勤めながら、画家を目指し、創作を続ける。
しかし、両親には反対され、ついには勘当をされてしまう。
しかし、それでも片岡は画家をあきらめなかった。
落選を重ねるも第十七回院展で、初入選する。しかしまた、落選が続き、
『落選の神様』
と呼ばれることもあったそうだ。
その型破りな構成と大胆な色使いを、ときにはゲテモノと言われるときもあり、かなり思い悩んだそうです。
しかし、そんなとき、小林古径が
『あなたの絵はゲテモノに違いないが、ゲテモノと本物は紙一重だ。あなたの絵は変えてほしくない』と励ましました。
片岡は美しく描くことがすべてではないと信じ続け、創作を続けました。
そして、1939年第26回院展に入選を果たしてから、ずっと入選が続き、小学校も依願退職し、女子日本美術学校で専任講師として働き、教授にまでなりました。
片岡はずっと創作を続け、1989年には文化勲章をもらい、日本三大女流画家の
一人として呼ばれるようになりました。
そして、2008年片岡は生涯に幕を閉じたのです!
親に勘当されてまでも、落選の神様と不名誉な呼ばれ方をしても、創作続けた精神には私達も見習うべきところではないでしょうか?
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